ケニーが飯伏に贈った「最後のプレゼント」とは?(前編)

2019-03-16


にほんブログ村 格闘技ブログへ

ランキングに参加しています。
宜しければクリックお願い致します
photocredit:njpw

飯伏が大阪にサプライズ登場

新日本プロレス、2019年の1.4後、初のビッグマッチ『NEW BEGINNIG IN OSAKA』が終わりました。
大きな変化が起こらなかった1.5から約一か月…。ELITE勢の離脱もあり、ざわついた雰囲気で迎えた大会当日。1.5から打って変わって一気に今後の展望が開けた大会といって良かったのではないでしょうか?
20代の王者、ジェイの戴冠、YOSHI-HASHIの花道ダッシュからオカダのカタルシス満点のレインメーカー、石森のキーポンジャーニーから獣神の猪木スピリットあふれる挑戦受諾など、見どころ満載の今大会ですが、試合外での一番のサプライズといえば、やはり飯伏の復帰宣言でしょう。

しゃべりだしから本題までのタメが長かっただけに、そこから
『ボクはどこにもいきません』
の一言に涙した人も多かったかと思います。
バックステージでの言葉も力強く「このまま新日本所属になるのでは?」と思わされるような力強い言葉でした。

ケニーのインタビューに感じる『違和感』とは?

しかし。
あまりの「もとから新日本に残ることを決めていた」的な言葉に違和感を覚えた方も少なくはなかったのではないでしょうか?
その「違和感」の発信源はそう、盟友ケニーオメガのレスリングオブザーバーによる、遡ること2日前のAEW決起集会後のインタビューでした。

このインタビューでケニーは飯伏に関してこうコメントしています。

(引用元:MOONGOOSE2.comさん)

・(旗揚げ戦である)DOUBLE or Nothingには出場しないが、飯伏は近い将来AEWに参戦するだろう
・もし自分がアメリカに移住することになったら、彼(飯伏)は完璧なルームメイトになれる

今ではないがいずれ飯伏はAEW、そしてケニーの元に現れるだろう、という自信に満ちた一言。
その言葉には一点の曇りもないように感じられます。
このインタビューを予め読んでいた方は飯伏の新日本登場にこう感じたのではないでしょうか?

『ゴールデンラヴァーズは別々の道を進んだ。ふたりは決裂したのだ』と。

私も一瞬、その言葉が頭をよぎりました。
が、同時にそれ以上の「違和感」も感じたのです。
そしてひとつの「仮説」が浮かびました。
その「妄想」を説明するにはゴールデンラヴァーズ(以下GL)、2人の関係性をプレイバックする必要がありそうです。

ゴールデンラヴァーズにおけるふたりの関係性とは

GL。この素晴らしいタッグチームはみなさんご存知の通り、2009年にDDTにて結成されました。同団体のKO-Dタッグはもちろん、IWGPジュニアタッグの戴冠、さらには2010年10月両国でのアポロ55との死闘が同年のプロレス大賞の年間最高試合に選ばれたことも有名です。
このタッグチームがケニーの新日本への移籍、バレクラ入りにて一旦封印されることになるわけですが、この時点までのGLはあくまで「飯伏のチーム」でした。最近になってからのファンの方にはピンとこないかもしれませんが、少なくともDDT時代においては飯伏が格上という印象だったのです。
飯伏はIWGPJr.タッグ王座戴冠後も2011年にはベストオブザスーパージュニア18を優勝、IWGPジュニアヘビー級王座、KO-D無差別級王者を戴冠と文字通りスターへの階段を上っていきます。
片やケニーは2011年に全日本のJr王座を獲得はするものの、比較対象となるベストオブザスーパージュニアは20回大会でのリーグ2位が最高。飯伏との伝説となった武道館でのタイトルマッチにも破れ、その4か月後飯伏が敗れたエル・ジェネリコ(現・WWEのサミ・ゼイン)を下してKO-D無差別王座を戴冠するも、直接対決による結果のイメージなのでしょうか?少なくともDDT時代においては飯伏の格上感は覆りませんでした。
その時代の2人の関係性に関しては新日本モバイルサイトに掲載されたサムライTVキャスター、三田佐代子さんのインタビューが詳しいのでまだ未読の方はぜひ読んで頂きたいのですが、ケニーの精神状態について書いてある部分をピックアップして抜粋すると以下の通りです。

三田:・・・じつはDDTを離れる前後にケニー選手に話を聞いたことがあるんですよ。その時に、「ボクはこの国とこの国のプロレスに捧げてきた。でも、イブシと闘ったら、みんなイブシのほうを応援するでしょ?」って言ってたんです。
—–そうですか。ケニー選手がDDTを離れるのは、日本武道館の試合から約2年後の2014年10月ですけど。
三田:正直、あの当時はケニー選手の方が飯伏選手よりもシッカリとコンディションを整えていたし、アスリートとしていろんなことに気を遣っていた。しかもカナダとの行き来もしていたから。凄いハードスケジュールをこなしながら試合をしていたんですよ。だからこそケニー選手からすると「俺はすべてを捧げている」って気持ちが強かったんだけども、どうしてもみんなのナンバーワンにはなれないと。たとえば日本武道館で飯伏選手に負けた年の12月には、ついにケニー選手もKO-D無差別級のベルトを巻いたんですけど、先立つその年のDDTのドラマチック総選挙では8位だったんですね。
—–『DDTドラマチック総選挙』はDDTさんが毎年行っている人気投票形式の選手ランキングですね。
三田:順位としてはそれほど悪くはないんですけど、ケニー選手からすればベルトを獲っても団体の頂点に上がった実感がない。で、その時に言ってたのは「やっぱり自分が外国人だからでしょう」って。
—–・・・それはケニー選手が言ってたんですか?

三田:言ってましたね。「みんながイブシを応援するし、みんなのナンバーワンになれないのは外国人だからでしょう」って。「そんなことはないよケニー。みんなどっちも大好きだよ」って私は言ったんですけど。でも、きっとケニー選手はそんな答えは求めてないんですよ。

ケニーの悲痛な叫びが聞こえてくるようなやりとりです。確かにあの時代、コンディション管理という面ではケニーの方が明らかに上回っていた、と私も思います。むしろ飯伏はケガでの欠場が多く、その危うさが皮肉にも人気の一因になっていたようにも感じます。
とにもかくにもケニーは2013年新日本・DDTのダブル所属となった飯伏の後を追うように一年後、バレットクラブのメンバーとして新日本に登場するのです。(後編へ続く

ランキングに参加しています。


プロレスランキング
にほんブログ村 格闘技ブログへ
にほんブログ村
よろしければクリックお願い致します!